第八回 『もとゆに俳句
「自宅前での近影」吉田光昭氏 
吉田光昭(38年入社) 
 林檎来る天候不順の文添えて  光昭
 昨年の前半は新型コロナウイルス、非常事態宣言、在宅勤務、一斉休校、と次々に思わぬ災禍に、これまでの「平凡な日々の有難みを改めて感じた方も多いかと思われます。
 私も二月までは、午前中をスポーツジムで過ごすことが多い日々でしたが、宣言が出る前に自粛、次第に関連会議や飲み会も中止が多くなり、ジムにも休会届を出し、引き籠もり生活、高齢者に必要な「きょういく」と「きょうよう」今日行く所、と今日の用が、突然、全く無くなった日々が始まりました。
  日頃出来なかった断捨離や、自宅周辺の手入れをする中で「座骨神経痛」に悩まされましたが、何とか歩くことは可能でしたので、近隣の散策で、青梅や奥多摩周辺の恵まれた自然環境に、改めて感謝した次第です、
今回は、俳句誌「風友」の会員の方々が「私の好きな一句」として取り上げて頂いた句などを紹介いたします。
 ●引用、俳句誌「風友」 
何事も妻が正しく秋の風
  長いご夫婦の歳月から生まれた至って真面目な感慨なのか、或は夫婦円満の知恵の一つを吐露したのか。答えは秋の風にでも聞いて欲しいとばかりに、下五をやや斜めに据えた所が好きです。余裕のなせる業でしょう
 (赤津義彦)
断捨離の美術書重し年用意
  本の処分についてはいつも困る。古紙で出すのは気がひける。ブックオフに持ち込むと買い叩かられる。断捨離は遅々として進まず、家人のいやみはますます鋭くなる。それにしても美術の本はどうしてあんなに重いのか。
 (西浦憲爾)
天空の御師の集落初神楽
  奥多摩の御岳山の神社に参る参道のお正月の風景、御師の宿の並ぶ山上の集落に神楽の荘厳で清々しい音色の広がる風景がよく見えます。山上の神域で迎える新年、心と身体が 改まるような気がします。
 (高野馬齢)
校庭の声の煌めき春の風
 「声の煌めき」の主は小学生だろうか。校庭いっぱいに広がる子供達の活発的な姿を、暖かくやわらかな春の風が包んでいる風景が浮かぶ。春になって、光を増してきた太陽の煌めくような明るさが伝わってくる。
(石津光子) 
蜩の声を掻き消しデモの波  駅頭の托鉢の立つ初時雨 
雄叫びの巌突き通す滝修行  苗すでに臥龍梅めく容かな 
増水の川を鎮めて蝉しぐれ 復活を期する公園野梅咲
秋暑き城下町行くみこしかな   草青む梅伐採の跡地より  
 
【一句鑑賞】        吉田 光昭
 病葉のひそかに枝を離れたり 原 直土 
  『国語辞典』を引くと、(わくらば)とは「病気や害虫にむしばまれた変色した葉。特に、夏の青葉にまじって赤や黄に変色している葉」と出ている。この意味と「病葉」という漢字とは、いかにもぴったりしている。「枯葉」からは、シャンソンを連想するが、「病葉」からは。昭和三十六年頃に中曽根美樹が歌った「川は流れる」を連想。『病葉(わくらば)を 今日も浮かべて 町の谷 川は流れる』。また、三橋美智也の「古城」の二番には、『崩れしままの石垣に 哀れを誘う 病葉や』と、高齢者が懐かしい歌を思い出すのは、私だけではないでしょう。
掲句はさりげない情景をさらりと詠まれていて、私が好きな句です。特に中七からの「ひそかに枝を離れたり」の発見が、一読句意明解、且つ他の深い意味をも含むのでは、と思う。